2011.3.12

2011年3月12日(土) 15時36分 

東京電力福島第一原発1号機 水素爆発

二度目の大災害がやってきた。

福島県の歴史を大きく変えた原発事故。

私たちは二度、この世の終わりを経験した。

絶望を超えた感情だった。

忘れない。この日も決して忘れない。

大量被ばくしながら、原発を止めようとしてくれた人がいた。

あまりにも理不尽にふるさとを奪われた人がいた。

忘れない。

私たちの日常を根こそぎ奪っていた、あの原発事故を。

原発なんていらない。絶対に。

この期に及んで原発賛成する人を、

私は死んでも理解できない。分かりたくもない。

原発なんていらない。

あんなもの、この世から消えて無くなれ。

Genpatsu

原発事故のせいで命を落とした人のために。

黙祷。

2011.3.11

2011年3月11日(金) 14時46分 東日本大震災 発生

最大震度7 マグニチュード9.0

2012.3.11現在 犠牲者1万5千人超 行方不明者3千人超

悲しいくらいの青空。

ひんやりとした空気。

風に舞う雪。

すべてがあの日にリンクする。

あの日を思い出すのではなく、あの日に戻る瞬間。

この悲しさ、悔しさは、言葉にならない。

忘れない。決して。

あの日を忘れない。あなたを忘れない。

Sora

震災から一年。

福島の空。

愛しいふるさと。

いつかほんとうの空を取り戻すその日まで。

私はふるさとをあきらめない。

今はただ、静かに祈ろう。

去った命へ。

鎮魂の祈りを。

11ヵ月

3月11日の東日本大震災から、11ヵ月が過ぎました。

毎回11日が近づくと心落ち着かなくなる私ですが、今回もそうでした。
14時46分が来た瞬間、すべての時が止まるのを感じていました。
息をすることさえ忘れてしまいそうな自分がいました。

テレビでは「復興、復興」と声高々に言われていますが、被災地は
まだ何も終わっていません。まだまだです。悔しいくらいに。

岩手や宮城でさえもそうなのですから、放射能問題を抱えた福島は
もっともっと、まだまだです。長い、あまりにも長い闘いになります。

2012年2月11日現在、犠牲者の数は福島県内だけでも1900人を超え、
行方の分からない人も200人を超えます。東北3県の犠牲者の数は
2万を超えることになるのでしょう。

悔しいくらい、まだまだなんです。

それでも、記憶の風化は進む一方です。

東京であるアンケートを取ったそうです。
「震災の募金を止めてしまった理由はなんですか」というアンケートを。

答えの多くは、「もういいかなって思った」「関心が薄れてきた」
だったそうです。

悲しいです。本当に。

分かってはいましたが、こうして現実として突き付けられると、
あまりにも切ないです。まだ一年経っていないのに・・・

私たちのことを忘れてほしくないから、記憶を風化させないでと
願うばかりではないんです。

無駄にしてほしくないんです。犠牲になった人たちの命を。
被災地の悲しみや悔しさを。

この震災を教訓として、これからに生かしていってほしいんです。
だから風化させてほしくないんです。

無駄にさせないように私たちも頑張るから、私たちのこの想い、
どうか受け取ってください。被災地以外の皆さんにお願いです。

この想い、この願い。

どうか、届きますように。

私たちは、ここで、生きています。

失ったものと、ともに。

11回目の、14時46分

2月11日 14時46分

黙祷。

今は穏やかな海に向かって手を合わせる人。

離れがたい故郷や遠く離れた避難先で手を合わせる人。

心のなかでそっと祈りを捧げる人。

それぞれが、それぞれの想いを抱えて、
それぞれの場所で迎えた、11回目の11日。

年が明ける頃から、「震災から間もなく一年」っていう声を
よく聞くようになったけど。まだ10ヵ月を、11ヵ月を迎えて
ないよって思ってた。

私たちにとって、一日一日がとても大事。
私たちは、一日一日を生きるのが精いっぱい。
だから、そんなに急かさないで。

ずっとそう思ってきた。
今もそう思っている。

11日の14時46分は、すべての時が止まる瞬間。
息をすることさえ忘れてしまう。

それだけ、あの日のことは、大きな出来事だった。
簡単に言葉では言い表せない経験だった。

それは今も現在進行形。

いたずらにただ時間だけが過ぎていく。
まだ何にも終わっていないのに。

11日を迎えるたびに、悲しみ悔しさだけが増えていく。

でも、それと同じくらい笑顔も増えていけばいいなと思う。

まだまだあの日のことは、受け止めきれていない。
進んでいるようで、立ち止まったままの自分がいる。

でも、それでいい。

悲しみとしっかり向き合おうと決めたから。
悲しみと向き合うスピードは人それぞれだから。

今日は一日、気が済むまで悲しみに暮れていた。
そうすることで、少し、また少し前に進める気がするから。
そうしなければ、少しも前に進めない気がするから。

いつか心から笑うために。

今は思いきり泣こう。

10ヵ月

3月11日の東日本大震災から、10ヵ月が過ぎました。

年が明けてから、初めて迎える11日。
なんとなく落ち着かない一日でした。

被災地以外の場所で、どれだけの人があの日に
思いを馳せてくれたのでしょう。

どれだけの人が、今日が10回目の11日だと
覚えていてくれたのでしょう。

きっと1ヵ月前より、その数は少なかったはずです。
そして1ヵ月後は、より少なくなっていることでしょう。

どうしても記憶は風化していくもの。

それをつなぎとめようと、被災地にいる人間は日々、
必死にそれぞれの想いを発信しています。

その想いが、どうか一人でも多くの人に届きますように。

2011年には終わってほしくありませんでした。
2011年が終わることで、震災がより遠くになってしまい
そうだったから。

年が明けても忘れないよという言葉をいただく一方で、
風化はスピードを増して。焦りと怒りを覚えました。

だからこそ、より強く、より長く、伝えていきたいと思います。

新幹線の中で被災して、長時間車中に閉じ込められて。
なんの情報も得られないまま、数時間してようやく得た
ふるさとの第一報は、「相馬市、壊滅状態」でした。

あの日あの時の絶望は、今でも鮮明に覚えています。
あの日あの時の絶望は、生涯忘れられません。

救助されて避難所で初めて映像を見て、

「この世の終わりがきた」

そう覚悟しました。

今でもその覚悟は続いています。

私たち福島人は、これからいろんなものを諦めて
いかなければならなくなるのでしょう。

それは生まれ育った町で生きることだったり、
夢を追い続けることだったり、結婚して家庭を
持つことだったり、健康に生きることだったり。

いつかは命を諦めなければならなくなる日が来るの
かもしれない。心身の健康は日々害されてるのだから。

それでも、ただひとつ、どうしても諦めたくないもの。

それは、ふるさと。

他の何を諦めても、ふるさとだけは諦めるつもりは
ありません。

いつか必ず、ほんとうの空を取り戻すその日まで。

それが、震災10ヵ月目の私の誓いです。

犠牲になった人々の分まで。ふるさと復興のために
尽力していきたいです。

10回目の、14時46分

1月11日 14時46分

黙祷。

数多の命を飲み込んだ海に向かって手を合わせる人。

爪痕残るふるさとや、遠く離れた避難先で手を合わせる人。

心のなかでそっと祈りを捧げる人。

それぞれが、それぞれの想いを抱えて、
それぞれの場所で迎えた、10回目の11日。

記憶は月日の流れとともに風化するもの。
悲しみは月日の流れとともに蓄積されるもの。

被災地の外では一日ずつあの日が遠くなっていっても、
ここに生きる私たちは一日ずつ悲しみを新たにする。

全国版の報道番組では、おまけ扱いしかされなくなった11日。
真実を伝えるべきはずの報道が、記憶の風化を助長している。

せめて11日くらいトップニュースで扱ってくれてもいいじゃないか。
あの日を忘れない、なんてウソばっかり。

そんな怒りさえ覚えた、10回目の11日。
でも、心を寄せ続けてくれる人がいる事実も知っているから。

そのことに感謝して、これからも生きていこう。
悲しさ、苦しさ、悔しさに加えて、怒りも覚えたけれど。

やっぱり今日の私を支配するのは悲しみで。
でも毎月11日は思い切り悲しみに浸ろうと決めている。

亡くした人にはもう何もできない。できることはせめて
故人を偲んで泣くことくらいだから。

思い切り泣いて悲しんで。
そうしなければ、前には進めないから。

2011年を抱えて

季節の移ろいも感じられないまま、過ぎてしまった2011年。
気がつけば、2012年の元日もまもなく終わろうとしています。

毎年大晦日には、その年に「さよなら」を伝えて新しい年を
迎えていたのですが、2011年にはさよならをしませんでした。

2011年はあまりにも悲しみが多すぎて。悔しさが大きくて。
どうしようもないから。心のもやもやは晴れないから。

どんなに楽しいときでも、震災や原発事故が離れることは
片時もなくて。どうしたって心からは笑えないから。

だから、悲しさも、苦しさも、悔しさも、全部大切に抱えて
2012年も生きていこういこうと、そう決めました。

去年の冬はとても雪が多くて大変でした。豪雪に悩まされた
冬がやっと終わったと安心した3月、あの震災が起きました。
すべてが変わってしまったあの日。あの日から今日で297日。

いっぱい泣いて、怒って、ときに笑って。
みんな一生懸命生きてきました。

悲しかった。苦しかった。悔しかった。

その2011年は過ぎ去ってしまったけれど、悲しさ、苦しさ、
悔しさは、2012年も続いていきます。

それでも、今年は少しでも笑える回数が増えればいいなと
思います。災害のない、心穏やかな年になりますように。

ただただ祈りながら、一日一日を生きていきます。

まだ震災中のふるさと福島で。

2012年も2011.3.11とともに。

9ヵ月

3月11日の東日本大震災から、9ヵ月が過ぎました。

11日を迎えるのは、今年はこれが最後。

世間は震災から9ヵ月ということはほとんど忘れて。
クリスマスや忘年会、お正月ムード一色。

ここにはない華やかさがまぶしくて、目が痛いです。

私は忘年会をしません。年を忘れる会なんて必要ないです。
今年起きたことは、ひとつ残らず覚えておくから・・・。

目の前で、家が大切な人が思い出の場所が流されていった。
助けを求める人を救えずに置いてきた。

地震で建物が道路が崩壊し、たくさんの人が傷を負い、
また命を落とした。

原発事故で故郷を追われ、目に見えない恐怖に脅かされる
日々がはじまった。

あの日、あの時、あの瞬間の。

私たちの感情を100%理解してほしいとは思いません。
それはきっと、とても難しいことだから。

でも、あの日、あの時、あの瞬間。

絶望を超えた悲しみや悔しさがあったという事実にだけは
目を背けないでほしいと思います。

悲しくて、苦しくて、悔しかった9ヵ月でした。
きっと明日からも、悲しくて苦しくて悔しい日々でしょう。

でも、そんな日々のなかにも、ほんの少しの楽しさや
喜びを見つけて生きていきたい。

いつ何が起こるか分からないからこそ、
感じられるときに幸せを感じて生きていきたい。

そう、思います。

9回目の、14時46分

12月11日 14時46分

黙祷。

今月もまた。

海に向かって手を合わせる人。

ふるさとや避難場所で手を合わせる人。

心のなかでそっと祈りを捧げる人。

それぞれが、それぞれの想いを抱えて、
それぞれの場所で迎えた、9回目の11日。

みんな、またひとつ、悲しみを新たにした。

一方で、記憶の風化はさらにスピードを上げる。

震災半年を境に、11日が来ても全国版のTV番組では、
追悼式や慰霊祭の話題にさえ触れなくなった。

明日には多少は触れられるのだろうけど、時差がある。
この時差が、被災地と他の地域との温度差だろう。

忘れられていく悲しみと、忘れられない悔しさを胸に、
祈りを捧げた一日だった。

今日は休みで、家にひとりだったから。
思いきり泣いた。

それですっきりはしなかったけれど。
泣いた分だけ、また前に進めそうな気がする。

もう3.11を忘れ去ってしまっている人にも、
せめて月に一度、11日だけでいい。
3.11を思い出してほしい。

そう、願っている。

ブログ

いちばん初めは、福島の良さを知ってもらうために。

次に、震災のことを伝えるために。

そのために、続けてきたブログでした。

本当はもっといっぱい書きたかったのですが、
時間も取れず、心のゆとりもなく。

気づけば、月にほんの数回しか書かなくなったブログです。

いろいろ、気負い過ぎてたんだと思います。

もっと肩の力を抜いて、書いてこれば良かった。

それが今まではできませんでした。

やめてしまおうかとも思ったけど、
やっぱり福島を発信したいから。

震災を含めた福島を、発信し続けたいから。

だから、続けることにします。

福島のこと、震災のこと、たまに趣味のこと。

Twitterのロングバージョン的な感じで、日々思うことを
綴っていこうと思います。

読んでいただけたら、幸いです。

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